舞台

昨日のこと。

知り合いの加藤君が出演する舞台を見に行った。
「歯並びのきれいな女の子」という題。

脚本ワークショップで書かれた、複数の脚本の中の一作品だそうで。
ワークショップ講師だった九州の方が演出をしている。

今年は例年になくお芝居をたくさん(といっても数本だけど)見ているので、
なんだか今回は大変気乗りがしない。

が、面白かった。
すっごく面白かったわけじゃないけれど、面白かった。

妙にひっかかる言い方をしている理由は、
なんだろう、ヒネくれているせいかな?

アメ工場を経営していた男の、納骨の日の話。
男の妻と娘と息子が、喪服を着て家に帰ってくるところから始まる。
ちなみに舞台は終始、家の中だけ。

最近、まあまあ舞台を見てわかってきたことがあって、
面白い舞台は、舞台空間がちゃんとしている。

リアルなセット、という意味じゃなく、
しっかり構築されていて、余分な物がないし、それでいて意味のない隙間もない。

そうじゃない舞台は、だらしがない。

今回の舞台はしっかりしていた。

家の見取り図のように白線が引かれ、その枠内に家具がある。
玄関、居間、キッチン、洗面所、遺影のある畳敷きとおぼしき部屋と、もう1つの部屋。

オープニング、家族3人は、わきあいあいだ。
最初の会話の中で、お坊さんの声が裏返ったとかで、なんか盛り上がっている。

その後やってくる人たちは、遺影に手を合わせたり、けっこう律儀にしてるんだけど、
でも、この物語の中に、そういう神的な、宗教的な戒律というか、縛りはあまり存在しない。

そもそも本を書いた人の奥底に、そういうものへの感心がないのだろうか。
僕もないけれど、ないから書かない。でもこの物語には登場している。

さてどうするんだろうなあ、と思っていたけれど、結局そこは、ウヤムヤというか、
別の神様がいるらしいので、ぞんざいだったのだろう。

この、納骨の日に、父親の遺言が読まれると言うことで、
なんだか人が集まり、それから、ネタバレだけど、隠し子がくる。

この隠し子が、歯並びのきれいな女の子、というわけで。

父親は家族に黙って外で愛人を作り、隠し子もいた。
それが、この日、明らかになり、それを巡っての騒動、人と人とのぶつかりあいというストーリー。

温厚そうな母親が一瞬、狂気を見せ、娘(アメをたくさん食べ、歯並びが悪い。最後まで喪服のまま)はとまどい、息子は隠し子に露骨な嫌悪を見せる。

ちなみにこの息子の友人で、アメ工場の現場監督的なおじさんの息子役が、
僕を劇に誘った加藤君なのだが、そんなにセリフも多くないのだけど妙な設定を持つ青年を、
埋没することなく演じていたので、良かったと思う。

ただ、テンション高くなると奇声を発する演技を最近多く見たので、
今度は、終始テンションが一定の、興奮してもそれを押し殺そうとするような静かな役も見てみたいという感想(しかしうまくなったもんだなと思う)。

で、ちなみに言うとネタバレだけど、死んだ父親の息子と、加藤君はゲイ的関係にあって、
いや、そういう役という意味なんだけど、これがなんだか、まあ、ナンなのかな?という……。

あまり本筋にからまなく、盛り上げエピソードだったんだけど、
ダイレクトには物語を貫かない話でした。

いや、あるのかな?
どうなんだろう……

アメ工場は閉鎖されるだろうという大方の予想の中、
誰が継ぐのかという話になり、そのゲイ関係の2人が、継いだらいいじゃんみたいな話になる(結局どうなるのかはわからないままだけど)。

ホームドラマはなんだかんだ言ったって、保守的な考えとどう向き合っていくかだと思う。
僕が書いた「アキの家族」というホームドラマは、わりと保守的な家族像で、
やっぱりこういう家族がいいよね、という風に書いた。

でもこの舞台は、はじめのお坊さんの臭クサしからはじまり、
いち早く喪服を脱ぐ家族、歯を矯正した息子、娘と恋人はまだ結婚はしていないなど、
やはりどこか、ガチ保守的なホームドラマからのズレがある。

でもそれが、逸脱しすぎてないと言うか、逸脱し切れてないと言うか、曖昧な地点でフワついている(いい悪いではなく、そういう劇なのです)。遺影に手を合わせる律儀さや、遺言に集まってくる人たち(欠席者は1人もいない)や、ゲイだとわかった2人に対しての浮ついた寛容さなどなど。

この妙な核心への突かなさが、遺言にもあって、
封筒の中にはあめ玉が3つ入っているだけ。

残された妻と娘、息子の3人で食べると、隠し子の女の子はあぶれてしまうことになる。

まあ結局、一番嫌悪していた息子が、ひとかけら、隠し子にあげようとするが、
それを残された妻(つまりお母さんね)が食べて、自分の分を、隠し子にあげる。

めでたしめでたしだ。

そうか?

この物語には神様がいる。
死んだ父親だ。

隠し子を作ったのもこの男、変な遺言を残したのもこの男。
そして、ラスト、郵便が届けられ、それは、妻への手紙と、あめが1個。

感動的なラストシーンだ。

そうか?

いや、そうなんだけど、
いいシーンだろうけど、演じてた小林なるみさんも好演だったけど。

この男が悪いんじゃないの? 神様が。
なんかすべてわかってますよ的な、あめ玉で丸く収めましたよ風な。

僕が、面白かったけどすっごく面白かったわけじゃない理由は、そこだ。

残された家族は、こんな神様の計画したとおりに、物事を運び、仲良くなっちゃいけないんじゃないか。
この人たちにとってはどんな父親かはわからないけど、そんなあめ玉は食べないで、捨てちゃうべきじゃないか(別に捨てなくていいけど)。

それでも、妻と娘と息子、それから隠し子の女の子で、どうやっていくか、それを考えるべきじゃないのか。
この父親は、そういう風に都合良く物事を運んできて、だから家族に内緒で浮気をして子供を作ったんじゃないのか。
それと同じことがあめ玉を巡って行われている時に、今までと同じでいいのだろうか。

死んだ父親の遺言はわかったうえで、あめ玉を捨てて(別に本当に捨てなくていいけど)、
神様の言うことに背き、自分たちの人生を進めるべきだったんじゃないのか。

そこに登場人物の力強さというか、新しい一歩があるんじゃないのか。
その一歩を踏み出した時に、この物語は初めて終わりを迎えるんじゃないのだろうか。

だから、僕は今でも、あの劇場の舞台の上に、神様に操られたままで終わることのない物語を生きさせられている登場人物たちがいるような気がして、心の底からすっごく面白かったとは言えないのです加藤君。

※でもちゃんと面白かったです。