『凶悪』な映画


映画『凶悪』観る。新潮文庫から出ている原作本も以前読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/ys22ys/20131001/1380635863

映画ははじめ、この物語は実在の事件を元に作られたフィクションです、みたいなテロップが入る。まあ確かに、実在の事件半分、映画用のフィクション半分と言ったところ。

事件はほとんど、原作に書かれていることと変わりはない。非常に凶悪な事件だ。文字で書かれていたものを、実際映像化されて観ると、グロテスクさが際だって、正直吐きそうになる。

もう半分、フィクションの部分は何かというと、闇に埋もれた事件を取材する雑誌記者について。原作では、事件を追う重要な役割でありながら、個を滅した透明な存在になっている。さすがプロの雑誌記者が書いてる文章だなあという印象だった。

映画では、その記者が主人公で、彼のプライベート(架空の)がメインとなっている。どういう家族構成で、今どんな問題を抱えているのか。

ただ、原作を読んだ人間にとっては、蛇足といった印象だ。映画ではそれがやりたかったんだろうけど。カポーティの『冷血』のような、事件に深く入り込みすぎた取材者という映画に。

んーでも、原作を読んだ時の、謎がどんどん明かされていく感じ、闇に隠されていた先生の不気味さみたいなのは、薄れてしまった。

もちろん、先生役のリリー・フランキーは、本人と見まがうほど。風体はさほど似てないんだけど、あの先生は実際こうだったんだろうなあと思わせるような説得力。それと、この映画はなんといってもピエール瀧の怪演だろう。ピエール瀧であるという事実が惜しいくらい。もし電気グルーヴピエール瀧という情報が全くなくてあの演技を観たら、とんでもない役者が出てきたと、みんな思うに違いない。賞レース独占だろう。

ただ、確かに役者はいい、いいんだけど、でもなんだろう、映画全体に漂う妙なぎこちなさ。介護に疲れてるはずの嫁が作る料理のちゃんとした感、いつまでもきれいなまま使った形跡の全くないコーヒーメーカーや電気ケトル、法廷でのモブ化できない傍聴人(目が行ってしまう!)、1人雨の中、穴を掘る主人公のとってつけた感などなど……。

それでも、昨今のつまらないテレビ映画がよりはよっぽどいい。映画としての志はあるし、『凶悪』を描こうとする心意気があった。

追記:
ちなみに映画本編が始まる前、予告編がすべて邦画だった。これはわざとだろうか。だったら考えたなと。今まで、どんなに大作の邦画予告編であっても、その直後に流れる洋画予告編のクオリティに惨敗だった。いっそ比較できないようにしてやれ、という思惑なら、まあ、考えたなと。