ジョージ・スマイリー初登場、その1行目

死者にかかってきた電話 (ハヤカワ文庫 NV 188)

死者にかかってきた電話 (ハヤカワ文庫 NV 188)

ジョン・ル・カレ全作読破を目指して。

手始めにデビューからの3作を読む。『死者にかかってきた電話』(1961)『高貴なる殺人』(1962)『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)。

3作はデビュー作から1年ずつの刊行。この時期、ル・カレはイギリス諜報部員として、西ドイツのボンで二等書記官、ハンブルクでは領事として勤め、平日の朝5時から8時と週末を執筆にあてていた。

1作目『死者にかかってきた電話』は、のちにル・カレ作品を代表するキャラクター、ジョージ・スマイリー初登場の作品。

さえない老スパイ、スマイリーにとって、美貌で浮気性の妻アンがいかに重要な位置を占めているのか。すでに第1作から彼女に悩まされ、それでいて愛し続けている彼のけなげな気持ち。

そもそも、ル・カレ最初の作品の、最初の1行がこの2人のことなのだ。

終戦まぢかになって、レディ・アン・サーカムはジョージ・スマイリーと結婚した。彼女自身、新夫を批評して、凡庸すぎるところにスリルがあると語って、社交界の友人たちをおどろかせた。その二年後、彼女はキューバ生まれのオート・レース選手と駆け落ちしたが、そのときにも、同じように謎めいた弁解をした。いまのうちに逃げ出さないと、終生かれからはなれられなくなるというものだった。

最初の本、最初の1行で、のちのちまで続く2人の関係を言い当てている。

さて『死者にかかってきた電話』のストーリー。

イギリス諜報部員スマイリーは、匿名の密告をうけ、外務省の役人フェナンを尋問する。特別怪しいこともなかったこの男は、次の日に謎の自殺を遂げる。スマイリーはその死を調べるべく、彼の家に行き、フェナンの妻に夫のことを聞く。その時、なぜか、電話局から8時半を知らせる電話がかかってくる。自殺したフェナンが、昨晩依頼していたのだ。なぜ彼は、自殺する前に、電話局から家に電話するよう依頼したのか。

謎の1本の電話から、スマイリーはフェナンの自殺を調べ始める。スマイリーの捜査に協力するのは警視庁のメンデルと、友人で同僚のピーター・ギラムだ。

この3人のチームは、のちに再び活躍することになる。それが、ル・カレの代表作、スマイリー3部作と呼ばれるシリーズの第1作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』だ。

今となっては、『ティンカー〜』を読まずに、知名度の低いこのデビュー作を読む人はいないだろう。最初に『ティンカー〜』の名チームで楽しんだのちに、この初期の出会いを追って体験することになる。

正直、面白さは、のちの作品から比べてまだまだ物足りないものの、この本がル・カレマニア必携の作品である理由は、スマイリーとギラムの関係が楽しめるからだろう。スマイリーを陰に日向に支え続けるけなげな友人ピーター・ギラムは、なんか女の子が喜びそうな、男同士の友情を感じてしまう。

でも注意すべきは翻訳の失敗。年下でイギリス諜報部内でも位置的に下であったギラムが、スマイリーに終始ため口で話しているのだ。この本より前、『ティンカー〜』が1975年にすでに邦訳されているから、2人の上下関係がわかるはずなのに……。

まあ百歩譲って、この本だけ読んで訳すとしたら、確かに2人の年齢の差も定かではないし、役職の上下も説明されていない。

でもなあ……、後半のあるシーンで、ギラムたちが張り込みの役で、スマイリーはちょっと離れたところから状況を見守る、みたいな、上限関係がしっかりわかる箇所があるんだけどねえ……。

さて内容としては、デビュー作品らしく、のちのル・カレ要素がもうこの時からすでに発揮されている。

一癖あるキャラクター、セリフのやりとりで行われる探り合い、諜報部内の人間関係、冷ややかだけども唐突に訪れるバイオレンスシーン、それにミステリー的要素。

ただこの本は、次の『高貴なる殺人』もそうだけど、ミステリーの比重が高い。おそらく、ル・カレ自身、方向性がまだ定まっていなかったんじゃないか。

犯人捜しのミステリーに重点を置いた初期2作はさほど評判にならず、3作目『寒い国から帰ってきたスパイ』が絶賛された違いがそこにある。

ミステリー的要素は物語を進めていく上で必要なのだけど、本当に楽しめる部分は、人間の心であると気づいた時、ル・カレは劇的に変わったのだと思う。

だけど、そこに至るまでには2作書かなければならず、もうあと2年の歳月を必要とする。