高畑勲はスマートだ


日本人なら誰でも知ってるかぐや姫の物語
でも外国人が観たら、突如、月に帰るって言い出した時、驚くだろうね。

構想8年、製作費50億らしいけど、いや、これはすごい出来だ。

ともすれば盟友・宮崎駿ばかり研究されてきたけど、この人についても掘り下げていくべきではないか。

『ポール・グリモー展』や映画『アズールとアスマール』の監修を経て、やはり日本を代表する芸術アニメ映画を目指したような気がする。

左側ということで揶揄される宮崎駿よりもさらにわかりやすいプロレタリアート視点に立つ高畑史観というか人生観というか。庶民は常に虐げられるが、庶民も貴族も天皇も月の下では同じ人なのだと。それらが随所に出ているのに、宮崎駿よりも説教臭くない。

実はこれ、大事なことで、何かを伝えようとする時に、その何かが違和感なく表現されているからなのだろう。

かぐや姫の物語』では、人は常に自然と共にあり、そこに住む人間たちは心が豊かで、逆に都会は物や人にあふれ、人々は一時の価値を求めている。

だけど人生は儚くて無情で刹那的。仏教や老荘思想に通じるこの世の儚さ(すらも通り越した無)を描くのだけど、それでもそこに生きて、偽りの世界であっても生きていくという覚悟を、姫は示す。それが、まさに月に旅立とうとするシーン(=死)。

この世に価値がない、だけど生きてることに価値がある、というメッセージを、スマートに(そう、高畑演出は宮崎演出よりもスマートなのだ)描く、アニメーション。日本映画史に残る。