なぜ本屋に行くのか

くすみ書房が閉店する。書店の死は僕の死だ。
それに、街の死だし、人の死だ。

大きな書店は品揃えも豊富だし、立地もいい。
でも、小さくても個性的な書店が、街になくてはいけない。

かつて、札幌の映画館が、数年で次々となくなっていったのを思い出す。
その時の喪失感と同じだ。

どの映画館も個性的で、劇場で観た映画はすべて、あの映画館で観たんだ、という記憶が残ってる。

シアターキノ以外、映画館がシネコン化してしまったいま、札幌で映画を観て、果たしてどれくらいの人が、映画館の記憶と共に劇場をあとにするのだろう。

この間、真っ昼間に『バードマン』を観終わったとき、シアターキノの奥の方の劇場から、10〜15メートルほどのスロープをゆっくり歩いた。右側の窓から、太陽が差し込んでいる。まぶしさに、僕は目を細めた。その明るさが、映画のラストシーンをもう一度呼び起こして、すがすがしさが、何倍にも強く感じられた。家でDVDを観ても、絶対に感じられない気持ちだった。

これが、きっと、作品を体験するということなんだと思う。

映画館は作品を観て楽しむ場所だけど、本屋は買うだけの場所で、読んで楽しむ場所ではないと言う人がいるかもしれない。

でも、僕は本を買った書店を覚えてる。どの棚にあったか、どういう品揃えだったか、その中で、なぜその本を選んだのか。そういう記憶のもろもろが、読書の楽しみを増やしてくれる。

今月、21日、そういう場所が、1つ消える。本を手にとって、重さを感じ、手触りを楽しみ、裏返して値段を確認する。この本を買おうという決意。そうして、レジに持って行く。帰りの電車の中で、開いて、1ページ目を読む。物語が始まる。新しい世界が広がる。そういう気持ち。Amazonでは決して得られない体験。それが1つ、札幌から消える。
http://www.kusumishobou.jp/