自分の死亡記事を書いてみた

 シナリオライターの島***氏が27日に死亡していたことがわかった。27日午後、事務所としている市内建物の一室でぐったりしているのを、施設の管理人が発見し通報したが、救急が到着した時にはすでに死亡していた。29歳だった。

 死因については、シナリオライターなどに特有の衰弱死や自殺の方面で調べが進んでいるが、氏はサイトなどに人気作家の読者を批判する文章を書いたり、事務所を共有している演劇団体へ歯に衣着せぬ批判をしており、トラブルを多数抱えていた模様で、警察は他にも同様のトラブルがなかったか、慎重に捜査を続けている。

 亡くなった島*氏は1977年、札幌生まれ。在学中の1999年に市内で行われた映画祭のシナリオコンテストでグランプリを受賞。それをきっかけにシナリオライターとしての活動を始め、2002年には函館のシナリオコンテストで受賞するなど、短編映画の脚本家として札幌を拠点に活動していた。2005年には企画と脚本を務めた「討ち入りだョ!全員集合」(監督、小川亮輔)が国内外で15以上の賞を受賞するなど話題となっていた。

 ここ数年は専門学校の講師としてシナリオを教えるなど、後進の指導にも精力的で、今月も、4日から25日まで教育文化会館で行われた教文演劇フェスティバルで短編映画脚本基礎講座と銘打ったワークショップを行い、10名強の参加者にシナリオを教えていた。ワークショップの参加者たちも訃報に動揺を隠せず、取材に答えたある参加者は「信じられません。打ち上げ2次会のガストではあんなに楽しそうだったのに」と言葉を詰まらせていた。

 しかし、市内の映像関係者達に動揺した様子はなく、一部からは若い脚本家の早すぎる死を惜しむ声も聞こえたが、売れないライターの死にいちいち騒ぐ必要があるのか、という意見が多数だった。

 その反応を裏付けるように、氏は映像化作品には恵まれなかった。若いながら受賞回数も多く、今後の活躍も期待されていた反面、映像化された作品は評価されることが少なく、前述の「討ち入りだョ!全員集合」を除いては、注目される作品は少なかった。氏もそのことについては気にしていたようで、ここ数年はシナリオを書くだけで、映像化されても関心が薄く、中には一度も見ないような作品もあったようだ。

 捜査関係者はその点から、今後の展望に悲観していたのではないかとの見方を強めているが、取材によると将来の展望については明るかったという別の話も聞かれた。ある関係者は、「彼は評価される周期があって、3年おきに受賞をしている。1999年、2002年にはシナリオがグランプリ、2005年には脚本を担当した作品が多数受賞していて、彼もそれはわかっていたはず。来年2008年に向けて悲観するわけがない」と取材に答えた。事実、氏のパソコンからは企画書と書きかけのシナリオも見つかっている。

 死の謎は深まるばかりだ。ある情報筋によると、自宅から日記が発見されたのだが、氏の悪筆は有名で、そのほとんどが判読不明だったようだ。ただ、「探していた」と読める単語がここ数ヶ月の間に多数書かれており、いったい氏が何を探していたのか、これが不可解な死を解明する手がかりとなるのか、今後の捜査の進展を見守りたい。

 また氏はインターネット上にブログ(日記風のサイト)を開設していたのだが、死の間際に自らの死亡記事を書くなど、奇妙な発言が目立っていた。この死亡記事は、自分が死亡した場合に書かれるであろう新聞記事を自虐的に模倣、中には現実と異なる内容を意図的に書いている箇所もあった。なぜ氏がこのような死亡記事を自ら書いたのかはまったく不明だ。

 ブログには死亡記事のほか、トラブルの発端となった批判文、そしてトマトの生育の様子なども書かれていた。トマトについては週に1、2度載せられていたが、氏が自宅の庭にトマトを植えた形跡はなく、ブログに掲載されていたトマトの写真はいずれも隣家に植えられていたものだった。なぜ氏が偽ってまでトマトの生育記録を書いたのか、トマトと謎の死には関連することがあるのか、トマトって上から読んでも下から読んでも同じなのか、氏にとってトマトとは何なのか、謎は深まるばかりだ。

 氏の生前の意向により葬儀は行われず、親族と親しい関係者だけで偲ぶ会が計画されていたようだが、参加者の多忙もあり、中止となったようだ。遺骨は散骨される予定だったが、火葬場からの運搬の途中に車両事故に巻き込まれ散逸、今も遺骨は行方不明のままだ。

 唯一、在りし日の氏の様子をうかがえるものとして、氏がこれまでに書いてきたシナリオの整理が進んでいるが、活動を始めた初期の頃のシナリオはパソコンからは消えており、氏のブログによると誤って消してしまったようで、現存するシナリオはここ1、2年のものに限られるということだ。

 氏は折に触れ100万年後にも残るシナリオを書くと豪語しており、人生の目標として掲げていた。しかし氏の作品が100万年後にも残っている可能性は薄く、その目標は果たされないままに終わったようだ。氏のご冥福をお祈りしたい。