外国文学

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数ヶ月ぶりに、まともな読書。

いや、これまでだって忙しい中、本は読んでいたのだけど、カフェでコーヒーを飲みながら、とことん、時間の許す限り本を読むというのは、本当に久しぶり。

いま読んでいるのは「曲芸師のハンドブック」。本当のハンドブックじゃなく、そういうタイトルの外国文学。半分くらい読んだが、この本はアタリ。

僕はほどんど日本の小説を読まない。9:1くらいの比率。しかもその1の大半は安部公房だし。

なぜ日本の小説を読まないのか、自分でも考える。

外国文学の方がハズレが少ないのは間違いない。その国で評価されて、なおかつ日本の出版社が翻訳しようと思った本なのだから、そこに"何か"があるのは確か。

日本の本にもアタリはたくさんあるのだろうけど、以前、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を面白いと思いながら途中でやめてしまったことがある。それは、物足りなさが原因で、面白いんだけど、だから? という。読み易すぎるのだろうか? 

そういえば恩田陸の「夜のピクニック」も読み終わって、「あ、そう」としか思わなかった。

外国文学は読みにくいとは、よく聞く。もしかしたら僕はそのゴツゴツした部分が好きなのかもしれない。「バリ硬せんべい」みたいな物ばかり食べ過ぎて、「ぬれせんべい」なんてしゃばしゃばした物では満足できなくなっているのかも(ぬれせんべい食べたことないけど)。

もちろん、失っている物は大きい。文章の流れやテンポは、近づけることはできても翻訳で完璧に再現することは不可能。面白い言い回しや、その言語を巧みに操れる作家ならではの言葉の句切り方や繋げ方などなど、無数に、再現できないことだらけだし、そもそも原文にそういうことが書かれていたかどうかすらわからない。

だからもしかしたら、外国文学に偏らず、日本の本もたくさん読んで、文体やら何やらいろいろ学んでいたら、もしかしたら、ねえ、もっとうまい文章でも書けたのかなと思うのだけど。