いいシナリオが生まれない理由

蠍座で「嘆きのテレーズ」を見る。
1952年のフランス映画。ラストにちょっと変化があると聞いていた。

が、現代人なら多くの人が予想できるラストの展開。

当時はこれで良かったものが、今では想像の範囲内になってしまっている。
ということは、シナリオは進化しているのだろうか。

少なくとも、有り体の展開だと読まれてしまうので、複雑さを増しているとは言える。
もう、「嘆きのテレーズ」のようなラストを書く人はいないだろう。さらに手を加え、もう一ひねりするだろう。

それに、人間関係のシンプルさや、登場人物をとりまく環境の薄さに驚く。もちろん、当時はそれで良かった。だが、時代は変わり、実に様々な事柄や情報が、登場人物のまわりを取り巻く。

そしてその複雑さが、シナリオを難しくしている。

昔の映画を見るたびに、なんてシンプルなんだろうと思う。それは羨ましくあるし、本来シナリオが目指すべきものなのだが、今、そのシンプルさでシナリオを書くと、スカスカのように思われてしまう。

それだけ現代が複雑さを増しているわけで、それに即したシナリオを書くには、シンプルさは必然、犠牲になる。

かくして、シナリオは年々、名作を生みづらくなっているのかもしれない。