眠れぬ夜のために
で、ウシジマくん。
買った分を読み終え、いま何時だ。
もう眠い。
もう眠い。
とにかく、お金の「怖さ」が堪能できた。
それに、なんか、僕も仕事頑張ってお金稼がなきゃ、みたいな気分になるから不思議だ。
それに、なんか、僕も仕事頑張ってお金稼がなきゃ、みたいな気分になるから不思議だ。
不思議なことに、「ウシジマくん」もケン・ローチも、最終的に提示される(と思われる)救いは同じもの。
それは人と人との信頼。
本当に信頼出来る人間が、1人でもいるかどうか。
ただし、その救いを得るものは少なく、ウシジマ君に至っては……まだ1人? ケン・ローチのラストも非常に苦い。
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今日、夜からカフェ。コーヒーを飲む。
不思議なことに、事務所で4~5時間うなって書けなかったことが、このカフェでは1~2時間で書ける。
不思議なことに、事務所で4~5時間うなって書けなかったことが、このカフェでは1~2時間で書ける。
かれこれ……どのくらいかわからないくらい通っているのだけど、
実は相当、お世話になっているんじゃなかろうか。ほとんどすべてのシナリオはこのカフェを経由して生まれた。
実は相当、お世話になっているんじゃなかろうか。ほとんどすべてのシナリオはこのカフェを経由して生まれた。
でも、うんうん考えながらふと、コーヒーを一口飲むその瞬間、店内の様子が目に入る。
イヤホンで音楽を聴いてるので、声は聞こえないけど、なんか、いろんな人がいる。
イヤホンで音楽を聴いてるので、声は聞こえないけど、なんか、いろんな人がいる。
僕と、この人たちとの違いはなんだろうと考える。
あるいは、同じところはどこなんだろうと考える。
あるいは、同じところはどこなんだろうと考える。
僕はシナリオを書く。
このシナリオが、世間に受け入れられなければ、僕と僕のシナリオの価値はゼロだ。
その瞬間から食いっぱぐれる。
その瞬間から食いっぱぐれる。
なんかウシジマ君にも食いっぱぐれた人が多く登場していた。
逆に……
……
なぜこのシナリオにお金がつくのかとも考える。
まあそんなことを考えるのは、眠れぬ夜のせいだ。
眠れ「る」夜や、起きてる昼にはそんなことはどうでもいいので考えない。
(いや、どうでもいいというのは、つまり答えが出ているからという意味なのだけど)
眠れ「る」夜や、起きてる昼にはそんなことはどうでもいいので考えない。
(いや、どうでもいいというのは、つまり答えが出ているからという意味なのだけど)
このシナリオになぜお金がつくのか。
それらがお金に変わる。
店内で、笑ってる20代だろうか、男の子1人と女の子2人がいた。
この人たちは何をお金に変えているのか。
この人たちは何をお金に変えているのか。
僕の隣の席では、女の子が、分厚い本にマーカーを引いていた。
後ろの席では、同僚だろうか、女性2人が仕事の事を話している。
イヤホン越しでも聞こえてくる話のほとんどは、仕事と人間関係のグチだ。
イヤホン越しでも聞こえてくる話のほとんどは、仕事と人間関係のグチだ。
1人が、彼の手取りが17万だと言っている。
その彼は、お金の使い道がなくて、17万もらって困っているそうだ。
彼女は、そんな話をしながら、どこかその彼を蔑んでいるかのよう。
その彼は、お金の使い道がなくて、17万もらって困っているそうだ。
彼女は、そんな話をしながら、どこかその彼を蔑んでいるかのよう。
このシナリオがお金に変わる。
価値として認められているのだろうか。
このシナリオを通して、満足を得たり泣いたり笑ったり楽しんだりする人がいるということだ。
だけどそれは、このカフェで、A4の紙に書かれた、僕以外判読不可能な汚い文字たちだ。
お金に変わる文字、文書、アイデア、ドラマ、ストーリー。
それを書いてる自分。考えている自分。
僕がいるカフェ。
コーヒーを入れる店員。
笑う客。
不思議だ。