ヨムキプール

ヨムキプール戦争全史

ヨムキプール戦争全史

昨今緊迫しているシリア情勢。中東はいつも波乱だ。

とは言え、第2次大戦後、ほぼ10年おきに戦争が起こっていた時代に比べればまだ平穏なのかもしれない。いや、そんなことはないか。

『ヨムキプール戦争全史』を読んだ。膨大な数の関係者への取材を元にした、第4次中東戦争(1973年)に関する良書。

なぜヨムキプール戦争と呼ばれるのか。イスラエルユダヤ教の教えに基づき、安息日(ヨムキプール)を迎えた日、国家全体が休息に入った隙を突いて、エジプトとシリアが2方面から奇襲攻撃を仕掛けた。

かつてアラブ国家を寄せつけず、圧倒的な軍事力を誇ったイスラエル第3次中東戦争ではたった6日間で領土を4倍にまで拡大したほどの国家が、まさかの奇襲で、窮地に立たされる。世界史は時として劇的な展開を見せる。この戦争がその例だ。

だけど、この本を読むまで知らなかった。イスラエルはヨムキプールの日に奇襲を受けたというのが一般の認識だけど、実はその前に情報は入っていたのだ。

だから逆に、エジプトとシリアに先制攻撃を仕掛けることも検討されていたが、国際世論を考慮して、先制攻撃は却下された。そして奇襲攻撃を受け、予備役兵が戦地に集まるまでの間に、スエズ運河を渡河され、ゴラン高原の南半分を占領される。

漠然とした情報しか知らなかったけど、この本には事細かに当時の情勢が描かれている。

奇襲攻撃を受けたイスラエルは、その後反撃に転じ、エジプトとシリアの首都を伺うまで進撃したが、アメリカの調停によって休戦となった。この戦争を最後に、中東戦争は起こっていない。

エジプトを指揮したサダト大統領は奇襲攻撃の成功をもってアラブの威信を回復して英雄視された。その後、イスラエルと平和協定を結ぶが、和平に反対する原理主義者に暗殺された。

この戦争は数万人の死者を出した。戦闘の記述を読むたびに、死んでいく兵士を想像して戦争の虚無さを思った。20代、30代で死んでいった兵士たちは何のために生きたのだろう? 国家を守るためなんて言葉はむなしいだけだ。

ちなみに『ヨムキプール戦争全史』、現在品切れの模様。4800円+税という値段もたいそうな物だが、古書で手に入れようとすると1万円くらいを覚悟しないといけない。図書館で置いているところもあるので、読みたい時はそうするしかない。