他人の言葉には価値があるのか
- 作者: 小川洋子,岡ノ谷一夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/11/06
- メディア: 文庫
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鳥の歌にも文法(並び順)があり、はじめから1つの歌をずっとさえずっているわけではなく、歌師匠から学ぶことができ、例えば複数、歌師匠がいたら、その鳥の鳴き声は複数が組み合わさるのだという。
で、そのように鳴き声を学べるのは、人間と鳥とクジラだけだという。なにか、そういう知られざる研究結果はスリリングだ。
でもこの本、「入門書」という言葉を前面に宣伝しているのだけど、内容がどうにも煮え切らないのだ。ある程度、研究でわかったことが披露され、それに対して小川洋子さんのコメント、それを受けて教授の言葉、で、別の話がありまして……みたいに話題が移ってしまう。
もっと、1つのことを掘り下げて言ってほしいなあ。そういう内容に対しての注意点という意味での、「入門書」という言葉なのだろうか?
まあスイスイ読めて、楽しい読書にはなったのだけど、どうしても気になるところが1つがあって。
「第2部 言葉とコミュニケーションを考える」というところで、「短さだけで言えば、メールの一行も俳句もそう変わりはないわけです。しかしその間には大きな隔たりがあります」と小川洋子さんが言っているが……
そうなのか?
いや、確かに僕も現代的なツールを使った言葉のやりとりにどっぷり浸っているわけじゃないのだけど(LINEとかやらないし)、なんか、そういう批判って、ホント良くあるよね?
世間に飛び交う言葉の洪水が、むしろ本当の気持ちを表現してないとか、現代人の心の寂しさがどうとか、実にありふれた批判をたいした検証もなくそのまんま批判するのは不毛だと思う。
そういうところを掘り下げられないという意味での「入門書」なのだろう。
作家である自分たちが操る言葉には価値があって、一般人が普段使っている言葉に意味はないみたいな物言いは僕にはできないな。