松本清張、橋本忍、野村芳太郎

『清張映画にかけた男たち』を読む。
原作:松本清張、脚本:橋本忍、監督:野村芳太郎という、黄金カルテットをメインにした本。

清張映画にかけた男たち: 『張込み』から『砂の器』へ

清張映画にかけた男たち: 『張込み』から『砂の器』へ

中でも、『張込み』についてが半分ほどを占める。この時期(1950年代後半)の日本映画の、いい部分が出た映画だ。

橋本忍の脚本は、ストーリーがグイグイ前に進みながらも、回想シーンを大胆に挿入して、物語の厚みになってる。回想を入れてもストーリーが停滞しないところなんか、さすがだ。

回想シーンはストーリーの勢いをそいでしまうので、脚本家的には敬遠したいのだけど、かつて橋本忍は、映画全体が前に進むのなら、回想は回想とは呼ばないんじゃないか、というようなことを言っていた。この映画はまさにそれ。

他にも、野村芳太郎の手堅く粘り強い演出、松本清張がのちに社会派ミステリーと呼ばれるようになる現代性のあるミステリー、黛敏郎のジャジーな音楽、などなど、いいとこづくしな映画。

<あの頃映画> 張込み [DVD]

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この本は、あまり語られてこなかった秀作『張込み』の舞台裏を知ることができるのだけど、後半の、他の松本清張原作映画については、まあ、どこかで読んだ内容といった感じ。例えば『砂の器』のエピソードなんかは橋本忍による自伝『複眼の映像』で語られてることが大半。
複眼の映像―私と黒澤明 (文春文庫)

複眼の映像―私と黒澤明 (文春文庫)

これまで橋本忍松本清張映画を追っかけてきた人には新規性はないので、そこはまあサラサラ読んでいくという感じ(初めて知る人にはいいかもしれない)。

いいところがたくさんある本なのだけど、どうしても気になる点が1つ。著者の自分語りが鼻につくのが残念で仕方ない。

『張込み』のロケ隊が泊まった宿が、著者の実家だったらしく、著者も当時いろいろ見聞きしてたということなんだけど、なんというか、作家がそれを語るというよりは、個人の自慢話的で、本としてのバランスを欠いてる。

作家としての自分より、自慢したい自分の方が優ってしまったんだね。

多くの優れた映画本が、自分を殺して、行間のすき間から個人的な情熱をほとばしらせているので、どうしても、それらと比較してしまう。例えば近年の傑作『黒澤明vsハリウッド』の滅私ぶりなんかは、かえって著者への好感度が上がった。願わくばそうしてほしかったのだけど。

まあでも、欠点はあるものの、読んで絶対損はない一冊。映画がまた観たくなる。