物語性の下限

最近はマメに日記書いてエラいんじゃないかな?そうでもないかな?

長もののシナリオを書き終えたご褒美として、CDを買った。アルバート・アイラー古今亭志ん生。フリージャズの雄と落語の名人。共通点はなんだろう、グルーヴ感と即興性か。スゥイングしてると思って落語を聞くと面白いかも。

ついでと言ってはナンだが、菊池成孔の「東京大学アルバート・アイラー」も買った。先鋭かつ過激なジャズメンが東大で行ったジャズの講義録。この講義もまたグルーヴ感と即興性に満ちあふれている。僕の講義もかくありたい。

シナリオの疲れがようやく癒えてきたので、今日はさらに映画を見に行った。と言っても同行者の意見に従い「ダイ・ハード4.0」。

僕は相当あなどってたせいもあり、そこそこ楽しめた。まあ、「ダイ・ハード」シリーズである必然性は全くない内容なので、シリーズのファンには不評だろうけど。

たぶん監督が、このシリーズにまったく興味がないんでしょう。シリーズ最新作を作りたい映画会社&プロデューサーが、若手で面白い監督を選んだけど、監督としてみればシリーズは好きくないですよ的だけど、大作だし受けちゃったよ感なんですかね。

だからブルース・ウィリスと関係ないところでストーリーはドンドン進んで、これでもかなアクション盛り沢山で、ドラマは風味として散らしてみた、そういう作品。

今回は人間業をはるかに越えているので――ジェット戦闘機に素手で(トラック?乗ってるけど)立ち向かい――そういう意味ではウケる内容。敵の女をタコ殴りにして車で跳ねて倒そうとするマクレーン刑事はなかなか見られませんよ。

この監督の「アンダーワールド」とかは見てないのですが、アクションは個性的であんまり見たことないなあっていう新種ですね。ただし監督の興味があるのがそこでしかないっていう致命的な要素もあって、アクションや画で物語を描けないといいましょうか、とにかく映像は凄い、だけどそれだけ、っていう。

それでもやっぱり「物語」というものは恐ろしいですね。映画は物語らなきゃいけないっていう縛りがいかにキツいかを実感しました。どんな監督でもよほどの前衛でない限り、呪いのようにつきまとう「物語性」(ドラマ)に、この監督もしてやられてます。それが今回の映画のテーマである、ヒーローとは何か、父と娘の絆という2つです。

おそらく監督にとってはシリーズとしての「ダイ・ハード」と同じくらい興味がなかったであろう2つのテーマですが、もちろん脚本にはしっかり書かれているわけです(しっかりというのは、ちゃんと書かれているという意味ではありません)。

しかし監督にとっては興味のない代物なので、まるでいやいや課せられたノルマのように、所々に散らしてあります。はいどうぞ、って感じで出てきます。うわーどうでもいいんだなあ、ってわかります。

だがしかし、あなどることなかれ、だからこそ、物語として何を入れなければいけないのか、いまハリウッドの映画作っている人達にとって、最低限の物語性はどこにあるのかをさぐる、いい機会ともなっているわけです。

映像やらアクション(だけ)にこだわる売り出し中の監督が、それでも入れざるを得なかったドラマ部分はどこなのか、何をどれくらい入れれば観客はドラマとして受容できるのか、それを知るためにも、見て損はないと思いました。