またこわれた

カンジヘンカンがなおったと おもいきや、
またこわれた。

なんだこれは。

ゲンインフメイのまま、なおったとしても、
またゲンインフメイのまま、こわれるのだ。

そういうわけで、ここからは
一太郎で打つよ。

ブラウザ内での漢字変換はできないけど、
一太郎やメールのソレではできる。

理由は定かじゃない。

ここのところはシナリオだ。
今日は安部公房「制服」「幽霊はここにいる」。

先日、知り合いから「制服」の感想を聞かれて、
そういえば、もうずっと読んでないなと思い、「制服」を読み直す。

終戦間近の北朝鮮での、殺人にまつわる出来事。
死んだ人間は幽霊となり、舞台上に現れる。
もちろん、生者には幽霊は見えない。

殺人が繰り返され、舞台上に幽霊が増えていく。
舞台では、幽霊や透明人間、黒子なんかは、ルールに則り見えないとする。
もちろん、目の前でウロウロされても、見えないとする。

その厳密なルールが舞台の面白さだと思う。
安部公房は初戯曲「制服」で、その面白さを使い始める。

一方、代表作で大傑作「幽霊はここにいる」にいたっては、
その厳密な見えないルールを逆手にとる。

深川という人物にしか見えない幽霊。
深川はその幽霊がいるかのようにふるまう。

見えないとされたものは、ルールに則り、見えてても見えないとする。
これを逆転させて、いないものを、いるかのように扱う。

しかし、これは深川だけのルールであって、
他の登場人物は、誰一人として見えない。
だが、様々な思惑の中、終盤まで1人をのぞき、ほとんどすべての人が、
幽霊をいることとして扱うようになる。

本当はいない非存在が、人間の手によって存在となってしまった時、
いろんなものを飲み込みながら巨大化する幽霊の不気味さ。

僕もこんなシナリオを書いてみたい。