同時代に生きること
インセプションを見る。2回目。
すごい映画だ。圧倒的。
脚本家として、ワンカット内に入れ込める情報量(膨大)と、
監督として、ワンカット内に映し出せる情報量(膨大)がかなり近いということは、
脚本家兼監督の人間としては、非常な幸運というかすごい才能なのだろう。
監督として、ワンカット内に映し出せる情報量(膨大)がかなり近いということは、
脚本家兼監督の人間としては、非常な幸運というかすごい才能なのだろう。
そうだ関係ないけど、専門学校で教えてる学生に毎週、映画のDVDを貸している。
その学生は小説家になりたいのだけど、映画はあまり見ない方なのだ。
だから、僕が知り得た面白い映画を、授業のたびに渡している。
その学生は小説家になりたいのだけど、映画はあまり見ない方なのだ。
だから、僕が知り得た面白い映画を、授業のたびに渡している。
そのラインナップが、いかにも90年代以降を生きたおじさんっぽくて、
それに気づいた時にちょっとなんだかなあと思ってしまった。
それに気づいた時にちょっとなんだかなあと思ってしまった。
そう、これらの時代を僕は生きたのだ。
DVDを貸してる学生は今月20歳になったばかりだ。
90年代の作品は一回り前の作品。
考えてみれば、僕はここのところの映画を、かつてほど熱心に見てない。
考えてみれば、僕はここのところの映画を、かつてほど熱心に見てない。
確信的に言えるのだけど、今の時代の監督は、クリストファー・ノーランだ。
だからもしも、今僕がDVDを貸してる学生が、例えば何年後かに講師となりDVDを貸す立場になったら、
ノーランの映画を貸すんじゃないだろうか。
ノーランの映画を貸すんじゃないだろうか。
その時代に生きて、同じ時代の作家と共に歩むことは、実は幸せなことだと思う。
ずっと残る。
ずっと残る。
願わくば、小説家志望のあの学生が、今の時代の監督や脚本家に出会い、どっぷりと浸かり、
いつか、昔の自分を振り返り、自分は、あの頃の作品・監督と共にあったのだなあと感じてくれんことを。
いつか、昔の自分を振り返り、自分は、あの頃の作品・監督と共にあったのだなあと感じてくれんことを。