幻影の書

イメージ 1

ポール・オースターの最新刊「幻影の書」ようやく読了。

オースターの物語には、転落していく主人公が多い。転落というより墜落と言った方がいいくらい、落ちる時には落ちる。だけどその墜落を、主人公自身が自分への戒めとして受け入れていて、どこか楽しんでいるようにさえ見える。「ガラスの街」のクィンは、監視のために24時間いっときもその場を離れず、眠りさえ制限していくし、「ムーン・パレス」のマーコはなんとか出費を抑えようと、飢餓状態に自らをおくし、「偶然の音楽」ではひたすら石を積んでいく。

「幻影の書」では、主人公と、主人公が調べている失踪した映画監督兼コメディアン両方に墜落があるのが特徴。物語の中盤、主人公は、とある女性と出会い恋に落ちる。そこに至るまでの過程には雨あり事故あり銃ありの見事な展開で、めまいさえ覚える。そう、今回のオースターの墜落は、ただ落ちるだけじゃない。何か平衡感覚を失い、よろめきながら、自分が落ちていながらまるで世界も落ちていくような、そんな墜落。それは酒に酔いつぶれた酩酊状態に近い。

そういえば本作、酒に酔うシーンが多い。そして酒はつねに不幸を暗示している。娘を失った父はいつも酒に酔い、もちろん主人公も家族を失って酔い、昔の友人達のパーティーに出て酔い、そして襲いかかる不幸。物語は二転三転、終局に近づき、ついに主人公は本当の幸せを手に入れたと誰しもが思う。遠い地からかかってくるだろう電話。主人公は酒を飲みながら電話を待つ。だけど電話の相手は、酒よりも強力に人間を落とす、酩酊し気を失わせる薬を飲んでいる。

オースターの今回の墜落劇は、いつもよりも"強い"。水割りではなくロックでもなく、ストレート、原液。わずか300数十ページとは思えないエピソードの数とその濃度。読み終えた時に覚えるのは、やはりめまい。オースターのどの本よりも強く酔えて、強力に落ちることができる。読み手も登場人物達と同じようにフラフラになり、悲しき酔いどれよろしく、自己を嘆きつつもニヤリと笑える、そんな本だった。